京都北の天満宮

『花宵の大茶会』を体験して感じたのは、これは単なる歴史演出ではなく、“失われた春を取り戻すための祈り”なのだということでした。

物語の始まりは、都を追われた菅原道真の和歌。
「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花
主なしとて 春を忘るな」

絶望の中にありながら、なお世界を呪わず、春の訪れを願い続けた道真公。その祈りは、現代を生きる私たちの心にも静かに重なります。
そして舞台となるのは、“幻の二日目”として再構築された花宵の大茶会。

そこには、傲慢、嫉妬、虚無、偽り、羞恥、義念――それぞれの感情を抱えた人々が現れます。

ヨガ哲学では、人の苦しみは「煩悩」や「執着」から生まれると考えられています。
怒りや嫉妬、不安や虚しさを消そうとするのではなく、まず“気づくこと”。そして、その感情すらも抱きしめながら、本来の自分へ還っていくこと。

『花宵いの大茶会』で描かれていた六つの色は、まるで私たち自身の内側にある感情の象徴のようでした。
香りが春を運ぶように、茶の湯という静かな時間の中で、人は少しずつ心をほどいていく。
それはヨガで呼吸を整える時間にも、とても似ています。
過去を否定せず、傷をなかったことにもせず、それでもなお「春を忘れない」。
その在り方こそが、この物語の美しさなのだと思いました。

エグゼクティブディレクターを務める宮田裕章氏の世界観もまた、「答え」ではなく「共鳴」を大切にしているように感じます。
歴史と幻想、香りと色彩、静寂と感情。
そのすべてが混ざり合う空間は、まるで現代に開かれた“祈りの茶会”でした。
